📍旅路
オーストリアのリンツから、この数ヶ月間ずっと目指してきた街、ドイツのミュンヘンに辿り着いた。ミュンヘンはオーストリアやスイスの国境に程近いドイツ南部の街で、ドイツの他の街に比べると落ち着いた小綺麗な街なのだそう。街中は穏やかで道がそれなりに広くて爽やかに賑わっていて、少し南に行けばすぐ湖や山にアクセスできて、そんな自然の豊かさもミュンヘンに住む人々の心の余裕になっている気がする。
📖時を越えて紡がれるものがたり
半年ほど前、前職の上司から「6月〜8月にドイツのミュンヘンで、内藤礼の展覧会がある」という連絡を貰った。当時はまだ確かウズベキスタンに居て、辿り着けるか微妙なラインだなと思っていた。
私の前職、香川県の離島である豊島の豊島美術館は、建築家の西沢立衛と作家の内藤礼による作品だった。ずっと豊島美術館の担当だった訳ではないけれど、5年半働いた時間のうち、4年間はほとんど豊島美術館のことをいつも考えていて、毎日毎日作品を見て、作品のことを考え続ける、そんな時間だった。もう少し遡ると、大学生の終わり、就職前の研修で豊島美術館に訪れた時に、私は豊島美術館に心を救われた。だから、内藤さんも内藤さんの作品も、私にとってとても特別な作品だ。
旅の日を追うごとに、やっぱりこの旅の区切りの一つとして、ドイツの展示に必ず行きたい、そんな気持ちが大きくなった。なので、それに合わせて予定を調整して、なんとか8/13に終わる展覧会の前に、そしてゆっくり心を整えて見られるように数日前に、ということで、8/10までにミュンヘンに行こう、と決めて進んできた。
少し話は変わる。他人に余計な心配を掛けないように、親しい人にだけ伝えてSNSでは黙ってきたのだけど、6月にジョージアのトビリシで自転車を買った。
遡って、こちらもまたウズベキスタンのサマルカンド。1月に大寒波が来てマイナス20°にもなるサマルカンドの宿で、一人のドイツ人旅行者、ドミニクに会った。私と同い年の彼は、ドイツからスタートして、まもなく旅を始めて2年近くになるところだった。
彼と旅の話をしながら、私はできればコーカサスあたりからヨーロッパへは自転車で行けたら良いなと考えている話をした。旅を出る前、日本を出てしまいさえすれば、どこにでもいけると思っていた。でも旅の最初の国、インドに居た時に、地方に入っていくことの難しさ、電車で多くのものをスキップしているような感覚に捉われて、少なからずフラストレーションを抱えていた。だから自分の移動手段がほしい、車か、バイクか、自転車か...。でも車は高価だし、小回りが効きにくい。バイクは免許が無いのと、原付をタイで試したら、運転に気持ちが囚われすぎて周りを見る余裕が出来ず、これも難しいと思った。でも歩くのでは距離が稼げない。それで、自転車はどうだろう、と考えている。そんな話をした。
すると彼は「実は自分は君のやろうとしていることを逆のルートからやったんだ」と言う。学校を卒業して2週間後には自転車に乗って、ドイツからスタートしてバルカン半島を周り、途中離脱してアフリカに行ったりギリシャで長期滞在したりしつつ、トルコを抜けてジョージアへ、そしてジョージアのバトゥミで自転車を手放した。「だからバトゥミに行けば僕の黄色い自転車が売っているはずだ」。
そこで、「じゃあ私はあなたの自転車を探して、またドイツまで乗って戻しにいくね」と約束した。彼と会ったのはホステルでの2日間くらいだったけれども、メールアドレスを交換して、それ以降、私はこの約束を何度も反芻した。そしてさらに内藤さんの展覧会のことが加わり、それまでふんわりと「自転車の旅をしてみたい」というイメージだったものは、バトゥミに行き、黄色い自転車に乗って、ドイツへ、そして彼に会い、展覧会を見る、そんな具体的な形に変わっていった。
結果的に、バトゥミで彼の黄色い自転車を手にすることはできなかった。彼が自転車を売った店までは辿り着いたのだけど、もう売れてしまっていた。代わりに、黄緑色の自転車をトビリシで手に入れた。セカンドハンドのマウンテンバイクで、新緑の季節に旅するのに良い色だと思った。萌黄色だから、名前はもえぎにした。ドミニクに会ったのが冬で、黄色の自転車が黄緑になったのも、季節の移り変わりのようで良いなと思っていた。
ジョージアのトビリシからドイツのミュンヘンまで、半分くらいは電車やバスにも乗ったけれど、半分は自転車に乗った。実走したのは2,000km程だと思う。自転車の長距離旅なんて初めてなので、あまりの大変さに初めの頃はかなり絶望していたけれども、次第に体力が付いて、初めは平坦な道を50km乗れば疲れていたのが、1日で100km走れるようになり、押さなくとも坂道が登れるようになった。犬に吠えられたり、風に吹かれたりもしたけれども、身体が疲れ切るまで走って、眠り、また走る、そんな日々は悪くなかった。何より、この道をずっと辿って、内藤さんの作品を見ることが楽しみだった。
そうして辿り着いたミュンヘンで、内藤礼の展覧会「breath」を観てきた。あまり大きくはない展覧会だったけれども、展覧会タイトルにもなっているbreath、つまり呼吸や、すなわち生気のようなものに空間が満たされている展示だった。描いた日付がタイトルになった、淡い水彩の2枚1組の絵画作品は、何か特定のものを描くものというより、色のひとつひとつが新たに生まれてくることの喜びがそのまま画用紙の上に立ち現れているようだった。長い自転車の時間の果て、または長い旅路の果てに、喜びに満ちた空間を観ることは私にとっても幸福だった。
ミュンヘンでは沢山の出会いがあった。
まずなんとドミニクもまたミュンヘンに住んでいた。てっきり彼はベルリンに住んでいると思っていたのだけれど思い違いで、彼は彼で私の苗字が「豊島」だと思っていたり、お互い、そんなに大してよく知らなかったのだなあと笑った。彼との再会を喜び、彼の友人らを紹介してもらったり、彼の両親が住む家に泊めてもらったり。また、展覧会では作品にインスピレーションを得たという、ミュンヘン在住の日本人ピアニストの方のコンサートがあったり、彼女と再び展覧会を訪れたり。さらに、展覧会でじっと作品を見ていたら、アートコレクターでキュレーターでもある男性に出会い、オーストリアの彼の邸宅に招待されたり、彼が所有するトーマス・ヒュッテという彫刻家による建築の家に泊めて頂いたり。他にもSNSで出会ったミュンヘン在住の素敵な日本人カップルと夕飯に出掛けたり…
小さな旅の約束が、あるいは島で働いていた時間が、全部ひとつの線になって、新しい物語を連れてきてくれる。縁が波紋のように広がっていく、ミュンヘンでの一週間ほどの滞在は、そんな充実感に包まれていた。ひとつひとつが密だったので、それぞれについても近々どこかで書きたい。でも同時に、「大切なことは無理に残そうとしなくても、ずっと残っていく」というようなことを、美術館勤務時代に内藤さんが仰っていたことを思い出して、大事な記憶をそっと心の中で温めてもいる。
今日で、旅に出発した日から1年でした。