📍旅路
時間の経つのは大変早いもので、モロッコに来てからはや1ヶ月半ほど経とうとしている。前回のメルマガでも少し触れたけど、今はマラケシュ郊外の家に居候していて、この暮らしも間もなく1ヶ月になろうとしている。ここでの生活や暮らし、いま考えていることを書いてみようと思う。
🐓Being, Doing, Never thinking.
マラケシュから15km、バスだと30分ほど。workawayという、働く代わりに食事と寝る場所の面倒を見てもらえるプラットフォームでこの場所を見つけて、やってきた。ちなみに到着したのは私の誕生日、10月30日で、29歳になった。
ここはモロッコ男性とアメリカ女性の夫婦、子供一人の家族が営む中規模の農園で、動物は犬が3匹、猫が2匹、鶏とカモは多分100羽くらい、羊が20頭くらい、ロバが3頭、そして馬が1頭。男性は恐らく実業家でスイスで授業も持っているようで、流暢なアメリカ英語を話す。女性はアーティストだそうだ。
彼らの事業は主に農園運営や作物販売、アーティストインレジデンスの受け入れ、そして最近オープンしたばかりのマラケシュのカフェ運営ということのようだ。
敷地はかなり広く、井の頭公園くらいはある。農園はいわゆるパーマカルチャーと呼ばれるやり方、ざっくり言えば循環型でエコ志向の高い形で運営されている。自然と人と動物が幸せに過ごせる場所を、というのが彼らのアイディア。広大なオリーブ農園を基軸に、木の下で多種多品目多量の野菜を作っている。ロバ糞や馬糞、鶏糞を肥料に使い、育った野菜を人が食べ、食べ残しは保存しておいて、肉は犬や猫に、くず野菜や雑草はロバや羊などに食べさせる。ふつうモロッコは水の少ない土地なので、村の人たちは共同の水道に水を汲んで使うところも多いようだけど、この家は独自で水の循環システムを持つようで、それで農園や生活の水を賄っているようだ。
ちなみに夫婦の家はなかなかのプール付き豪邸なので、一般的なモロッコの家とはかなりかけ離れているだろうことは書き添えておく。
働いている人は15-20人ほど。主に男性は農園で、女性は乾燥スパイス作りなど作物の二次的利用のほか、家族の邸宅(以下、ヴィラ)の家事全般などに携わる。ほとんどはフランス語・英語は話せずアラビア語またはベルベル語を話し、近隣の山や村の出身者が多いようだ。地元の雇用を生んでいると思うと良いことだ。
また、海沿いの街出身のアディルという男性が、住み込みの陶芸家として2年半ほど働いていて、彼のための陶芸設備は完璧に整っている。このあたりの土は粘土質で、農業にはあまり向かないけど陶芸にはぴったり。敷地の土から作った陶芸品を家のタイルやオーナメント、家やカフェの食器に使っている。
workawayを通して働きに来た人(以下、workawayer)、またアーティストインレジデンスに応募してやってきたアーティストたちは、ヴィラから徒歩2〜3分の別棟で暮らす。別棟には2棟5部屋ほどがあり、全員にトイレ・シャワーとクイーンベッド付きの5つ星ホテルみたいな個室が与えられ、キッチンは共用。別でさらにパオのようなテントがあり、もう数名受け入れができるそうだ。
キッチンは4口コンロにオーブンがあり、食事は自分で準備する必要があるけど、菜園の野菜は使えるし、好きな時に好きなだけ料理ができる。その他設備としては、ヴィラの近くにヨガルーム兼シアタールームがあり、良い音響とプロジェクターで大きな壁で映画を観ることもでき、近くのプールを含め、好きな時に使うことができる。
仕事は1日4時間、週5日働き、仕事時間や休みは自分で調整する。内容は私の場合は主に野菜の育苗ポット作りと雑草抜きで、えんえんとこれをやっている。普段一緒に働く人々はアラビア語しか話せないので、基本的に端的なコミュニケーションには限られる。
さて、私のここでの暮らしはというと、旅の前に瀬戸内海の豊島で暮らしていた時に近いところもあって、畑にあるものを使って、新鮮な食材で好きなだけ作って食べられる暮らしが改めて好きだなというのが最初の実感だった。
仕事の間は作業しながらpodcastを聴いて、終わったらアディルが作るモロッコ料理をせっせと習い、夜寝る前にduolingoという言語学習アプリでフランス語を勉強して、次の日アディルに使ってみる、というのが大体のルーティン。休みの日はマラケシュに行ったり、日曜日のスーク(市場)に自転車で出掛けたりしていたけど、段々それも減ってきた。
お金と暮らし、旅のことは、モロッコ前後でずっと考えているテーマでもある。
本当のところを言うと、モロッコに来る前はちょっぴり不安があった。ぎりぎり日本への航空券代があるかないかくらいしか貯金が無かったので、果たして生きていけるのか、こんな私でも不安にもなる。でもモロッコに行こうと思ったのは、日本に帰れば確かに、適当な仕事を探して簡単にお金を得て、得たお金で生きていくこともできるけど、そうではないトライ&エラーがしてみたくなったからだった。
スペインで出会った、自転車旅をしていたリカルドのことをよく思い出す。
彼はかれこれ2年半ほど、大したお金も持たずずっとギアも壊れたような自転車で旅をしている。彼は自分で編んだり、道端で拾ったものを加工して作ったアクセサリーを売って生活費を得ているけど、それでいながら値段は寄付制で、払う人が払いたいだけ置いていけば良いという形を取っていた。
私たちがカミーノの巡礼路で一緒にテントを張って眠った夜、あまり食べ物を持ち歩いていなかった私に、彼は自分が持っている食べ物は何のためらいもなく、持っているだけシェアしてくれた。彼のほかにも何人か似たようなスタイルの旅人に会ったけれども、その全員に共通しているのが、がめつくない、ケチじゃない、という点だった。キャラクターは様々だけど、みんなとても良い人たちだった。
彼らのことが頭にあって、こんな風に何も持っていないところから、自分の中にあるものを使ったり、自分にないものは習得したりして、あまりシリアスにならずにサバイブする方法を探してみる、ということをやってみたくなった。
少し前に聴いたコクヨ野外学習センターから出ている『働くことの人類学』というpodcastで(おもしろいのでお勧め)、商いについての話で良いなと思う一節があった。商いのもともとの形は、計画を練りに練って始めるというよりは、夕飯の食事代が無くて困っていたら、ふとこっちの村で100円のレモンがあっちの村では50円で、あっちからこっちに持ってきて差額を得て、まず夕飯代を得る、商いとはもともとそんな気軽なものなのだと、そんな話だった。
初めは何とか自分が持つもので何とかサバイブする!みたいな、若干息巻いていたところもあったのだけど、最近は良い感じに力も抜けてきて、ニュートラルに身体や思考を置けるようになってきた。フランス語を勉強してワーホリに行く!とかプランもあれこれ立てていたのだけど、なるようになるし、身体や予定をオープンに開けておくことで、入ってくるものもあるなと思い始めている。だから今はモロッコにどれくらい居るかとか、この先どうするかとか、ほとんど考えていない。逆に、求められる場所があるなら、世界のどこにでも行こうと思う。それが無くても、旅のことをzineやカードにして印刷するべく制作中で、完成したら路上ででも売ってみようかと考えている。不安定なようで安定している、そんな感覚があって、それはゆったり捉えていきたい。
同じくここでworkawayをしている50代くらいのイギリス人の夫婦、サラとマークは、2018年に家を売り、家財はチャリティーに出したそうだ。年の8ヶ月くらいをイギリスで何かしら仕事を探して稼ぎ、残りは各地でworkawayをしながら生きているらしい。最後に彼らの言葉を紹介したい。
「私たちはモノはすべて手放したけど、なにか必要だと思った時は世界(Universe)からいつでも得ることができる。道教に良い言葉があるのよ。『Being, Doing, never thinking.』」